1978年にジュラ地方シャトー・シャロンに滞在中、彫刻家の友人ロベール・モニノが村の鍛冶場を改造したアトリエを提供してくれた。それをきっかけに、若い頃石工として石彫をしていたクートラスの彫刻への情熱が再燃し、テラコッタの制作も始めている。
1967年から85年に亡くなるまで住んだパリ、ヴォージラール通りの寝室兼アトリエの小部屋で、クートラスは薪用のダルマストーブを使ってテラコッタを焼いた。工事現場で掘り出した土を捏ね、燃料としては商店街に、夜になるとゴミとして積み上げられるダンボールや木切れなどを使った。
作品の多くを占める顔の像は平凡な人々のものでありながら、時には聖人、時には悪魔を思わせ、葉や花は教会の柱頭飾りのようである。顔の一つひとつ、葉の1枚1枚にクートラスの作品群を特徴づける、親しみのある聖性が現れているように思える。