Biograpy
2020.05.19

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Robert Coutelas
ロベール・クートラス

略年譜
1930年3月17日:パリに生まれる。「6時15分なんて生まれた時間が早すぎた。だから僕は生まれた時から疲れていたんだ」と言っていた。
1941年~44年頃:一家でドイツのチェコ国境付近のドイツ軍基地に移住。クートラスはドイツ語がまったく分からず、学校に通うより工場で働くことを選んだ。
1945年:フランスに帰国。オーベルニュ地方ティエールで紡績工場に勤める。独学で鋳物のオブジェや木彫を作り始める。
1948年~49年頃:クレルモン=フェランに転居。朝の5時から13時まで工場で働き、午後から職業学校の工業デザイン科に通う。彫刻作品で初めてグループ展に参加、地元紙に取り上げられる。
1950〜53年:ブロワで石工の技術実習を受けたあと、ブールジュのカテドラルの修復現場で働く。その後、ルーアン、ブロワ、ブルターニュ地方を転々とする。
1953年:両親の住むリヨンへ。リヨン国立高等美術学校に入学するが、2年生の半ばで辞めてしまう。
1959年:オーソン・フリッツ賞で選外優良賞受賞。パリのロマネ画廊と契約。パリ、ローマで個展。街路をテーマに描くクートラスは“現代のユトリロ”と呼ばれた。
1961年:ロマネ画廊との契約を自ら解除。それから7年間、極貧生活が続く。
1967年:パリ15区ヴォージラール通り226番地、通称「太陽の宿屋」に転居。生涯の住まいとなる。この頃から拾ってきたボール紙や板に絵を描くようになり、カルトの制作を始める。
1968年:パリのヴェルセル画廊と契約。日中は画廊のための絵を描き、夜はカルトを制作する生活が始まる。
1970年:パリ、ニューヨークのヴェルセル画廊で個展。
1972年:年数回の個展と日夜の制作に疲れ果て、ヴェルセル画廊との契約を自ら解除。
1973年:グリモーというトランプなどを製作する会社のコンクールにカルトで応募し、受賞。しかしカルトに手を入れることを断ったため、商品化はされなかった。
1975年:パリのオルトン画廊での4人展で、カルトのコンポジション作品を初めて展示。アンドレ・マルローが来廊し、カルトに関心を持つ。
1976年:ハンガリーのフォークグループ「コリンダ(KOLINDA)」の音楽に惹かれ、レコードジャケットとコンサートポスターを制作。
1977年:岸真理子と出会う。印刷所で働いていた友人が持ってきた大量のポスターの裏にグアッシュの制作を始める(このシリーズを後に「僕のご先祖さま」と呼んだ)。
1978年:ジュラ地方のシャトー=シャロンにある友人の別荘に長期滞在し、鍛冶場でテラコッタや石彫の制作に励む。
1982年:東京のギャラリー上田で個展。グアッシュとカルトのコンポジションを展示。
1985年:パリで逝去。ペール=ラシェーズ墓地に埋葬。
1986年:パリのエッセイ画廊で回顧展。
2003・2004・2009年:東京のギャラリー無境で個展。
2010年~:東京のGallery SUにて、数年ごとに個展を開催。
2012年:シャルトル美術館にて、「ロベール・クートラスの世界」展を開催。
2015年:渋谷区立松濤美術館にて、「ロベール・クートラス 夜を包む色彩」展を開催。
2016~2017年:静岡のベルナール・ビュフェ美術館、京都のアサヒビール大山崎山荘美術館にて、「ロベール・クートラス 僕は小さな黄金の手を探す」展を開催。