Journal
2020.05.19

Vol.3
岸真理子・モリア
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皆川明

「クートラスの作品の後に私の人生があってよかった」
これは、クートラスの作品と生き方に強く魅せられたという皆川 明さんの言葉です。皆川さんがデザイナーを務めるファッションブランド、ミナ ペルホネン。オリジナル生地から、流行にとらわれず、じっくり時間をかけてつくりだされるミナ ペルホネンの服は「ミナを着る喜び」として世界に共感を広げ続けています。
「リレーのように手から手へ」渡されていくことを大切にするという皆川さんは、クートラスから何を渡されたのでしょうか。クートラス没後30年の節目に渋谷区立松涛美術館で開催された展覧会「夜を包む色彩」会場で行なわれた皆川明さんとクートラス作品の遺作管理人、岸真理子・モリアさんとの対談です。

皆川 明(以下 、皆川):僕がクートラスの作品を最初に見たのは麻布のGallery SUです。その出会いで深く心惹かれましたので、フランスのシャルトルで開かれた回顧展にも足を運びました。今後一生をかけてゆっくり見ていくべきものに包まれているというわくわくする気持ちが湧いてきました。どれを見てもすっと入っていく。一つの作品からの感動ではなく、全体からそういう気持ちを受け取る経験ははじめてでした。ですから、展覧会場の限られた時間でこの作家と作品を理解しようとするのは無理なことだし、したくはないと思ったのです。いっぺんに見てしまいたくない。時々一つひとつの作品に対面して、絵を感じるだけでなく、クートラスがどんなことを感じたのか、背景を勝手に想像しながら味わいたい。
今日、ここに展示されている作品を見ながら、クートラスの言葉や思いを岸さんから直接お聞きできるのは、とても有難いです。

岸真理子・モリア(以下 、岸):一生をかけて、自分の作品とつきあってくれる方がいると知ったら、クートラスはとても喜ぶでしょう。つい先日も夢に出てきて、君は僕がもう死んでいると思っているだろう、なんて言っていましたから。

皆川:僕がはじめて行った海外の国はフランスでしたが、ちょうどクートラスが亡くなった頃でしょうか。クートラスはカルトに制作年や場所を描き入れていて、僕の生まれた年もありますね。

:1965年からクートラスが住んで、カルトやグァッシュを描いていたヴォージラール通りは当時、ルノアールの映画「どん底」に登場したようなどうしようもない暗さを抱えた人たちが流れてきていました。犯罪と紙一重にあるような人びとに対する愛情をクートラスはすごく持っていたと思います。「戦争がなかったら、僕はとんでもない、ならず者になっただろう」と話していました。

皆川:60年代は時代を変貌させる大波が寄せてきた頃ですね。彼が過ごしたパリの時代、その移り変わりの凝縮されたものがクートラスの作品世界をつくっているという気がします。

:パリ的なものが消えていく象徴的な出来事がパリの胃袋と呼ばれた中央市場の再開発でした。レアールの中央市場はクートラスも若い頃、荷降ろしの仕事をしたことがあって、懐かしい場所の一つだったのでしょう。解体のために閉鎖されたとき、クートラスの仲間たちは工事現場に潜って宝探しをしたそうです。ローマ時代の物がたくさん出てきたのです。あのレアールの巨大な中央駅ができたとき、クートラスが「僕にはもうこのパリで生きられないかもしれない」と言ったのを覚えています。

皆川:僕は写真や岸さんの著書などからしか、その時代のことを想像できませんが、クートラスが残したいと願った時代の要素はたくさんのカルトのテクスチャーから感じ取れますね。

:時代のテクスチャーとおっしゃってくださったのは、とても的確な感想でクートラスも頷いてくれるにちがいありません。クートラスの絵は結局、時間なのです。彼が「リザーブ*」と呼んで、ずっと手元に置いてくれと言ったのは、散らばってしまうのを避けたいこともあったでしょうが、表に出す前に時間をおくことを望んでいたのだとも思います。時間を与えて欲しいと。よくワインに喩えていました。子どもが生まれたときに買っておいたワインをその子どもの結婚式であけるように熟成を待つのだと。

皆川:作品を散逸させたくないということよりも、僕はクートラスの岸さんへの想いだったのだと考えています。自分が作品そのものとしてあるわけですから、ずっと一緒にいて守っていきたい。自分を映した作品群が岸さんから離れないで欲しいということだったと思います。

:リザーブの存在が私を支えてくれたのは確かです。変な言い方になりますが、クートラスに肩車をされているような気持でしたね。そうやってクートラスの道を続けていく。私はアーティストではありませんから、彼とは別なやり方になりますけれど。
「僕はこれより遠くへはいけないかもしれないが、お前はここからもっと本質的なものに近づいて欲しい」と言われたことがありました。自分が生涯を通して探してきた道のようなものを誰かに引き継いでもらいたいと考えていたのでしょうか。

皆川:恋愛にはパートナーを所有したい愛と相手を守りたい愛があって、その境ははっきりしています。アートも同じで、アートを所有したいというブルジョワジーの欲望とアートそのものが世の中にあることが嬉しいという気持ちの間には大きな違いがあります。クートラスの岸さんへの想いというのは本質的に絵と共に守りたいということで、その気持をリザーブという形にしたのではないでしょうか。

皆川:今日はいくつかお尋ねしたいことがあって、一つが乳母車にのる子どもが描かれたグァッシュです。他にはない珍しい題材ですが、これについてクートラスは何か話されていましたか?

:クートラスの言うご先祖さまは、いわゆる自分に直接つながる父母祖父母ではありませんから、幼子もまたご先祖の一人とも見えますね。実はこの前にもう一枚、赤ん坊が生まれてくるところを描いた絵がありました。自分はどこからきて、どこにいくのかという根源的な問いがクートラスにもあったのでしょう。過去、現在、未来、すべての時間を貫いて自分をつくっているものをご先祖さまと総称していたのかもしれません。
この隣のグァッシュに描かれたネズミもクートラスにとってはご先祖さまなのです。

皆川:ネズミの家族と同居していたのでしたね。
もう一つは、肖像画の向きと視線です。クートラスの肖像画は、正面を向いているときと横を向いて視線はこちらに向けているとき、そして横向きで視線も横でこちらではないどこかを見ているときとがありますね。肖像画を見て最初に思った疑問は、この向き方による気持ちの違いは何だろうかということです。無意識なのかもしれませんが。

:クートラスの描いた横顔はたいてい左側を向いています。左は無意識で右が意識と言いますけれど、教会の正面扉のタンパンという彫刻もたいてい向かって左側が地獄です。
左右の明暗は道徳的な善悪という分け方より、隠されたものと現れたものと私は受け止めていますけれど。ヨーロッパは明るいものにばかり目を向けるので、クートラスは見られていない暗い方へ向かったのではないかしら。

皆川:その世界に愛おしさを感じていたのは伝わってきますね。正面を向いた肖像画からは安堵感のようなものを僕は受けます。

:おっしゃる通りですね。正面の肖像画は聖なるもの、生きる喜びを与えるような存在の表現なのかもしれません。

皆川:横顔で視線がこちらを向いているのは不安と葛藤に対するクートラス自身の意識。そして、どこも見ていないのには、クートラスが見ている外の世界、空想の世界の人物たちなのかな。

:「僕はちょっと遠くへ行き過ぎた」と言っていました。帰ってこられないかもしれないという不安感を持っていたのですけれど、帰ってくる方法を持たないで別世界に入っていってしまうのがアーティストなのでしょうね。皆川さんは絵を描かれているとき、それに近い経験はありますか?

皆川:水の中にいる感覚で、体がなくなっているように感じることはあります。そういうときは嬉しいですね。帰ってこられない状況はアーティストが味わう幸せで、孤独によって開かれる世界なのだと思います。

:僕の絵は一枚一枚が、僕の生きた時間なのだとクートラスは書いていました。彼の孤独が生んだ豊かな時間をこれからたくさんの方が共有してくださったらいいなと思っています。

*:クートラス本人が売ることも、散逸することも許さないとして選び分けた作品

皆川 明(みながわ・あきら)
ミナ ペルホネン デザイナー。独自のストーリー性のあるスケッチや図案から、織・刺繍・プリントなど、多様な技術を用いて、国内外の産地と連携しながらテキスタイルを開発している。世界的なテキスタイルメーカーであるデンマークのkvadrat社、英国LIBERTY社をはじめ、様々なメーカーに自身のデザインを提供。近年では、家具やテーブルウェアなどのインテリアプロダクトやステーショナリーなど、ファッションの領域を超えたプロダクトデザインも発表している。
http://www.mina-perhonen.jp/

写真:平地勲