Journal
2020.05.19

Vol.2
山内彩子

繊細な窓枠から光が降り注ぐ板張り床の小さな空間にロベール・クートラスの神秘的でユーモラス で深遠な作品が展示されている。版画の聖母子像、指先ほどのテラコッタ、引き込まれるような悲しみを湛えた目のグアッシュ、奔放なドローイング、そして星雲を想起させる組み合わせカルト。 クートラス作品を中心に現代作家の作品を扱う「Gallery SU」のオーナー、山内彩子さんにお話しを伺った。

― 山内さんのGallery SUでは、オープン当初から定期的にクートラスの個展が開催されています。はじめてクートラスの作品に接したときのことをお聞かせください。

山内彩子(以下 、山内):15年ほど前になりますが、私は銀座にあった「ギャラリー無境(むきょう)」 にスタッフとして勤めておりました。「ギャラリー無境」で作品を発表して頂いていた画家、橋場信夫さんがパリに留学していらしたとき、 クートラスと、クートラスの全作品の継承者である岸真理子さんと親交があり、橋場さんを介して無境でクートラスの個展ができないかと打診があったのです。1985年にクートラスが亡くなったあと、真理子さんは長い間作品を管理されてきて、今後どのような形でクートラスを紹介していけばよいのか悩んでいらしたのです。無境オーナーの塚田晴可さんは、クートラスが亡くなる前の82年にギャラリー上田で開かれた個展を見ていて、ずっと心に残っていたそうで、喜んでお引き受けすることになりました。私はそのときはじめてクートラスのカルトを見たのですが、それ以来いつも心にかかっていて、ギャラリーでお預かりしたカルトを何度も出してきては眺めていました。そうしていると、どんどん作品世界に引き込まれていって、ほどなくすっかり魅了されてしまいました。

― 岸真理子さんに会われたのはその後になるわけですか。

:個展を開催することが決まって打ち合わせに帰国された真理子さんと、橋場さんのアトリエでお会いすることになったのですが、クートラスのファンになっていた私は、遺作を管理されている方との初対面にかなり緊張していました。
でも、はじめてお会いしたときのふんわりと温かく包まれる気持を今でもよく覚えています。「あなたがクートラスのファンになってくださったと伺っています」とおっしゃった柔らかな表情が印象的でした。フランスにいらしたらぜひお寄りくださいとお誘いくださり、その後、夏休みにパリに行って再会しました。クートラスが好きだったという教会や博物館へ連れていってくださり、また真理子さんの口から直接語られるクートラスの言葉を通して、ますます作家と作品への理解と愛情が深まっていきました。ヴォージラール通りのクートラスが亡くなるまで住んでいた部屋も、改装されてしまう前に覗くことができて、その狭さにベッドの上で描くしかなかったのがよくわかりました。
クートラスと真理子さんがパリで出会ったのは、1977年。私はその年に生まれているので、お二人の子どもですねと笑いあったりもしました。

― 無境での個展の反響はいかがでしたか。日本ではまだ無名に近かったかと思いますが。

:場所柄もあって、無境に普段お見えになるお客様の年齢層は比較的高かったのですが、「芸術新潮」での紹介などがあって、少しずつファンが増えてきていて、クートラス展ではご自分も作り手である若い方など幅広いお客様が見えました。無境では2003年、04年、09年と三回の個展を催しましたけれど、その度にじわじわと認知度も上がってきました。
2003年の個展のためにつくった三つ折の案内状は、開くと9枚のカルトが現れるものでした。この案内状を準備しているとき出会ったのが、「住む。」という雑誌で紹介された、建築家中村好文さんの事務所の昼食風景の記事です。掲載されていた写真の奥の方にクートラスの作品らしきものが写っていました。塚田さんが中村さんとは面識があったので、お尋ねしてみましたら、パリでクートラスに会って作家本人から購入したカルト作品だということでしたので、すぐに案内状への寄稿をお願いしたのです。

― 2009年のクートラス展の直後の09年末、オーナーである塚田氏の逝去でギャラリー無境は閉じられることになります。整理の作業を経て、2010年にご自分のギャラリーを開くまでのことをお話しいただけますか。

:無境で働いていたときから、夢としてはいつか自分のギャラリーを持ちたいと考えていましたけれど、急な閉廊で準備には厳しい条件が重なりました。「あなたにクートラスのことは任せるから」と真理子さんが背中を押してくださり、その言葉に支えられてオープンにこぎ着けることができました。
2009年の個展がきっかけでエクリから『ロベール・クートラス作品集 僕の夜』が出版されることが決まり、刊行とギャラリーのオープン記念展を同時に設定して先延ばしがゆるされなかったことが、逆に幸いしたのでしょう。
「人の心を深いところで安堵させる動物の巣のような気配も充満していました」
これは先にお話しした個展の案内状のために、中村好文さんがクートラスのアトリエの印象を書いて下さった文章ですが、独立して自分のギャラリーを開くにあたって、名を「SU(エスユウ)」としたのは、この「巣」に由来しています。本当に小さい場所ですが、巣をつくるように私が好きなものだけを集めて、それらがお客様の許へ巣立っていくというイメージで、名前もクートラスが決めてくれたことになりますね。
場所は麻布の古い集合住宅ですが、一目で気に入って入居希望を出しておいたのが、運よく思いのほか早く入ることが叶って住んでいたところです。私が気に入った作品の何を持ってきても、作品自体が喜んでくれる空間でしたから、その印象のままギャラリーとして使えたのだと思います。真理子さんもクートラスの作品を展示するのに相応しい部屋と気に入ってくださいましたし、お見えになるお客様もそう感じて下さるようです。


― 山内さん所蔵のクートラス作品を、ご紹介いただきましょうか

:組み合わせカルトは、中村好文さんの事務所にあるものと同様、クートラス自身が全体を構成したものです。ギャラリーコレクションとして無境で所有していたものを、是非にとお願いして引き継ぎました。クートラスがカルトを描きはじめた初期の作品で、一枚一枚が少し大き目です。可愛らしいものや、お茶目な感じのものもありながら、個性の強いものが組み合わさっていて、引き込まれるような迫力があります。掛けてあると、背中を向けていても意識してしまうところもあって、毎日向き合うにはエネルギーがいります。

クートラスが古いブリキ缶を切って、遊びでつくったオブジェです。真理子さんのフランスのご自宅に保管されていて、私が感激した様子をご覧になった真理子さんが「値をつけてお売りするものではないから」とプレゼントしてくださいました。

初めてこの聖母子像を見た時、私は真理子さんに抱かれているクートラスだという印象を持ちました。永遠に癒えない傷を湛えた目をした子を優しく受け止める手。

ギャラリーでは、クートラスの個展期間以外でも、事前にご連絡いただければ真理子さんからお預かりしたカルトを多数ご覧いただけます。実物をご覧いただくと、マチエールや素材そのものの感触を味わっていただけると思います。
真理子さんが、『僕の夜』のあとがきで「クートラスの遺したカルトが、彼らの胸に、ほんの小さな火でもともしてくれれば…」と書いていらっしゃいますが、私はクートラスと真理子さんから託されたともし火を、クートラスの作品を愛してくださる方々に手渡すことが、自分の使命だと思っています。

山内彩子(やまうち・あやこ)
東京麻布にあるGallery SUのオーナー。ロベール・クートラスの遺作管理人、岸真理子から委託を受け、クートラスの作品紹介を行っている。
www.gallery -su.jp

写真:平地勲